真っ青に晴れ上がった夏の空。
白い雲がむくむくと立ち上がっている。
「ここが日本かぁ。さあ、がんばるぞおっ!」
わたしは、仲間達と一緒に船をおりた。この半年間、この日本で
いろいろ学んで、(できればかっこいい彼も見つけて…!きゃっ!)帰るのだ!
さあっ!やるぞおっ!
私は父母から尋ねるように言われていた、オレンジ市の丘の上病院にむかって、
港から飛び出していった。
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あの青い空の向こう
こめどころ |
病院では、短期留学看護婦の講習会が開かれた所だった。
偉そうな婦長さんや先生が「心構え」ってやつを語り掛けている。
わたしは、窓際で聞いていたけれど もう眠くって、こっくりこっくりしてた。
ふと気がつくと入学式が終わったみたいでみんなぞろぞろと寮へ移動をはじめている。
わたしも、どの部屋にするか確認しなくちゃ。
そのとき、
「アスカ、アスカ。」
私を呼ぶ声がした。
「あ、ヒカリじゃない、あんたもここにきたの?」
「そうなのよ。うちのおかあさんもここでパパを見つけたんだってさ。」
「ふーん、そうなんだ。」
「そとにさ、お菓子やさんがあるんだよ。いってみない?」
「うん、いってみよう。」
お菓子屋さんにはお姉さんの本職の看護婦さん達が何人かやってきて
息抜きをしていた。
お姉さん達は私とヒカリをみつけると、にっこり笑った。
「あらあら、今年ももうあなたたちの来る季節になったのねえ。」
「寮の場所わかってる?」
わたしたちは、こくこくとうなずいた。
「お菓子食べるかしら。どう?」
知らない人から物を貰っちゃいけませんよってうるさく言われてるけど
このお姉さん達はやさしそうだ。
「ありがとうございます。」
そういうとありがたくクッキーや、ポテトチップをつまませてもらった。
「あら、今年の子は人懐っこいわね。」
「そうね、いつもの子達はなかなかよってきてくれなかったりするのに。」
お姉さん達もうれしそうだ。
優しい人はみんな好きだ。
わたしはヒカリと一緒に女子寮501号室で寝床を整えていた。
もうだいぶ遅くなっていたので、ここからみると病室は真っ暗。
ところどころのナースセンターや医局の部屋にだけぽつぽつと明かりが
ついている。小高い丘の上なので遅い桜の大木が何本かこの時期になっても
咲き乱れている。
ここでお昼ご飯をとっている時にお父さんとめぐりあったって言ってたな。
この部屋からだと枝に飛び付いてぽんぽんと、下まで降りていけそう。
さっそく試してみる。ちょんちょんと中枝まで降りていった時、下から桜を
見上げている男の子に気がついた。車椅子に乗っている。
蒼い髪の看護婦さんがそれを押している。
男の子が何か言って、看護婦さんはどこかへ行った。
わたしは一番下の枝まで降りていくと男の子に声をかけた。
「こんばんは!あんた何してんの? こんな時間に?」
「やあ、こんにちは。夜のお散歩かい?」
「ちょっと、花見にね〜、これ桜って言うんでしょ?」
「桜は君たちの国じゃ珍しいだろうね。きれいでしょ?」
「うん、いっぱい毛虫がつく事もあるって聞いたよ、お母さんに。」
「もっとも僕は、来年の桜を見る事はできないけどね…。」
わたしは一瞬彼が何を言っているのかわからなかった。
首をかしげているわたしに、男の子が続けて言った。
「つまり来年までには死んじゃうって事さ。」
「えっ、あんたそんな重病なの?」
「頭の奥の方に腫瘍ができちゃって、だめなんだ、もう。」
「気の毒に…。」
わたしは少ししんみりしてしまった。
「でもね、僕が苦しいのはそんな事じゃない。」
私はまた彼の顔をじっと見つめた。
「ぼくはね、大金持ちのどら息子なんだ。毎日毎日面白おかしくはではでに
暮らしてきた。こんな病院で明日のご飯の心配をしながら暮らしている人の
事なんか知りもしなかった。でも、ここにきて、自分がどうしようもなくなって、
お父さんに要らない子供だってうち捨てられてからやっと気がついたんだ。
お金を使って、やらなくちゃいけない事がなんだったのか。」
男の子は唇を噛んでないた。
私は、心臓がどきん、とした。
「でも、もう遅い。ぼくは死んじゃうんだ。今更幾ら悔やんでも何もしてあげられない。」
「何いってんのよ、あんた馬鹿あ?! あんたまだ生きてんじゃないの。
やれる事なんかいくらでもあるわよ。」
私は思わず叫んでいた。そして、枝から飛び降りて、車椅子の手すりを掴んだ。
「きみ、僕の事手伝ってくれるの?」
「そこまで聞いてほっておけないでしょ。どこに何を持って行けばいいのよ!」
男の子は指輪を外すと私に渡した。
「この丘の下に、私立の里親センターがあるんだよ。親の無い子を里親に
引き取ってもらう為の施設なんだ。でも15歳になると出ていって働かなくちゃならない。
どんなに勉強がしたくてもね。この指輪をそこの責任者の人に届けて欲しいんだ。
そうすれば、持ち主の僕の所に電話が入ってくるだろう。そこでお父さんに知られる事無く、寄付ができるんだ。僕が何かしようとしても禁治産者扱いされて動きが取れないんだよ。お父さんはなによりもお金を愛す人だからね。」
私は、指輪を受け取ると病院を飛び出していった。
そして、そのセンターを探し出すと窓から優しそうな所長さんの枕元に指輪を置いて
戻ってきた。
寝床に潜り込むと、ヒカリが起き出す。
「むにゃ、アスカ。だめだよ、早く寝ないと明日も早いんだから。」
看護婦の朝は早い。当然見習いもそれ以上に早い。
早番の日は5時に病棟集合である。
ばたばたと大騒ぎの寮内。
結局周囲の者も目が醒めてしまう。
ベランダの手すりに腰掛けていると隣のベランダの話し声が聞こえてきた。
「ねえねえ聞いた?病室のペントハウスの患者さんってさ、
まだ18〜9のとっても若い男の子なんだってさ。でもあまり長くないらしいよ。」
「へー、それって薄倖の坊ちゃまかね。」
「いい御身分だよねえ。」
私は、かっとなったけれど何とか我慢した。
夕方、またあの少年がゆっくりと電動車椅子で、フラワーガーデンをさまよっているのを見つけた。わたしはさーっと近づくと、また手すりを掴んだ。
「やあ、きみか?」
肯く私。
「うまくいったよ。すぐにあれから電話がかかってきた。
拾ってくれたお礼に差し上げますといったら、保険の人も所長さんもびっくりしていたよ。今年高校にどうしても行かせてやりたかった子を行かせてやれるそうだよ。」
「それは良かったわね。」
「あの指輪のお金で5年は続けられるから、そのあとは最初の人たちがお金を返せばずっと続けていけるんだ。」
彼はほんとに嬉しそうだった。
その笑顔を見ていると私の心臓はどきどき言いっぱなしになる。
温かいものが身体中に湧き上がってくる。
「一つ思い付いた事がある。ここの差額ベッド代を大部屋に変えてもらって浮かすんだ。結構馬鹿にならない費用が無駄になっているんだよね。」
「それは、いい考えね。」
「一日10万円も差額代払って、専従の看護婦さんに側にいてもらわなくても治療はできるよね。みんなはそうしてるんだし。…それにどうせ僕は死んじゃうんだし。」
ちょっとだけ俯く彼。
「だいじょうぶ。あなたはいい事をしているんだもの。きっといいこともあるわよ。」
「そんな事考えちゃいけないな。いまはやらなくてはいけない事だけ考えよう。」
彼は顔を上げると明るく私に言った。
そこにいつもの蒼い髪の看護婦さんが走ってきた。
「シンジさーん。長く外に出ていてはだめですよー。」
「じゃ、あたし行くから。」
私は慌てて車椅子を離れた。
シンジは私をずっと見送っていた。後からきた看護婦さんもこっちをみている。
また何かお手伝いができるといいな、と思った。
501に戻るとヒカリが擦り寄ってきた。
「ねえねえアスカ。今日いい事があったの。私男の子にプロポーズされちゃった。
来年はぜひ夫婦になってくださいって。」
「え、えー。すごいじゃないヒカリ。んで、どう答えたのよ。」
「友達と相談してからって…。」
「友達って ?」
「アスカしかいないじゃな〜い。おねがいっ!!明日付き合って!」
「しょうがないわねえ。ま、大船に乗った積もりでいなさいよっ!」
次の日、わたしはさえない男の子に紹介された。
「お初に姐さん!わしトウジと申します、お見知りおき願います。」
「見知りおくけどさあ。何なのその言葉づかいは?」
「へへ わしの親は大阪者だったもんで。」
「ふ〜ん。」
みればみる程さえないやつ。シンジと比べると月亀ねえ。
え?いや、いやあ、わたし何考えてんだろ。
「アスカ、顔まっかあ〜。はっ、だめだよっ、トウジはわたしの恋人なんだから。」
「ヒ、ヒカリはん。今の言葉、ほんとでっか?」
「きゃあ、いやん、いやん、いやあん。」
「ヒカリはん、それって、OKちゅうことですか?!」
「きゃあ、いやん、いやん、いやあん。」
勝手にしてちょうだいよ〜〜〜。
わたしはくねくねぺたぺたはじめた二人を放り出してベランダへ戻った。
「はあ〜。わたし、どうかしちゃったのかなあ。シンジと比べるなんて。」
わたしはまた桜の枝でボーッと考えていた。
「だめですっ、特別室を出るなんて自殺行為です!」
あの蒼い髪の毛の看護婦さんだ。
「シンジは、脳腫瘍なのよっ。全身に転移が進んでいるから抗がん剤を
多量多重に使ってる。抗生剤も山のように。無菌の特別室を出るという事は、
寿命を確実に縮めるということよっ。」
「しかし、それも患者さん自身の判断です。管だらけになって生きるのも、
誇りある死を選ぶのも。とにかくあなたは解任されました。
明日からは通常勤務に戻って下さいね、綾波さん。」
「シンジ…。あなた死ぬ気なの。一日でも長く生きて欲しいのに…。
かってに外出したり、動物にさわったり、特別室を出てしまったり…。」
「綾波さん。シンジにはシンジの考え方があるのよ。」
綾波さんは顔を上げ、わたしを見つけた。
「あなたか…。シンジはもうすぐ死んでしまう。特別室にいればまだずっと生きて
いられるのに。自分で死を選ぶ事は確かに認められてるけど、残される人の事
も考えて欲しいな。」
綾波さんは寂しそうだった。
「あなたが、もしシンジを信じて、助けてあげたいならシンジのやろうとしている事を
手助けしてあげればいいと思うよ。」
「シンジはわたしには何も話してくれない。
お父様の放ったスパイくらいにしか思ってないのよね。」
次の日から、綾波さんを院内で見かけなくなった。
シンジは一階の花壇脇の木造の部屋に移ってきた。
病院で一番粗末な部屋だけど静かで、お日様も当たるし、
中庭に面したいい部屋だとわたしは思う。
中庭を抜けた並木の向こうは看護婦さん達の子供の保育園だ。
暇な時間があるとわたしは病室の窓辺でシンジの話を聞く。
そして、シンジの言い付け通りに、指輪や、為替や、切手や、
小さな手紙を運んでいく。
夏が終わり、シンジのやつれはだんだんひどくなってきた。
「ほら、みてご覧この新聞を。肝移植で渡米した赤ちゃん助かったって。」
それは、シンジの届けた匿名寄付の為替で可能になった事だった。
「よかったわねえ。」
「僕一人の命の代わりに、こうして何人もの人が幸せになって行く。
僕はほんとにうれしい。」
シンジの笑顔を見るのはうれしいがだんだんやつれていくシンジを見ているのは
辛かった。
綾波さんはこんな気持ちを味わいたくなくていなくなったのだろうか。
帰国しなければならない日がせまっていた。
「アスカ。あなた何考えてるの?またシンジの所に行ってたんでしょう?」
「ごめんヒカリ。もう少しだけほっておいて。」
「ほっておけないわよ!もう明日はみんな帰るのよ。あんた一人で残るつもりなの?
これからどんどん寒くなる。わたしたちは…。」
暫く考えて、わたしは肯いた。
「わたし…帰れない。」
「一緒になんか、なれないんだよ……。」
ヒカリの声は震えていた。
「うん。わかってる…。」
その日みんなはふるさとに向かって飛び立っていった。
秋の風が吹きぬけていった。もう11月だ。
毎日毎日次第に気温が下がってくる。
シンジの病態も次第に悪化していった。わたしが最期まで看取ってあげなくちゃ。
わたしはそんな気持ちになっていった。
「あら、あの子まだ、国に帰らないのかしら。他の子達はみんな帰ったのに。」
わたしを見かけるたびに看護婦さん達が話し合うのが聞こえる。
「あなた、どうして帰らないの。早く帰らなきゃだめよ。」
私に向かって語り掛ける人もいる。
でも、わたしはシンジをおいて帰る気にはなれなかったのだった。
こつこつ。
窓ガラスを叩くとシンジが手を伸ばす。
「今日は、これをお願い。」
真っ赤なルビーだった。
「ある人に上げようと思っていた。でもその人はいなくなっちゃった。
一番理解して欲しかった人だったけど。」
……あの人の事だ。
わたしにはすぐ分かった。あの蒼い髪の看護婦さん。
「それで?これをどこに届けて欲しいの?」
「この、病院の裏の森を抜けた所に、重症の肢体不自由児達の施設があるんだけどね、効率悪化を理由に潰そうという事になっているんだ。新しい優秀な人を雇ってリハビリ効率を上げれば、回復効率が上がって潰せなくなる。その資金さ。」
手紙と宝石を持ってわたしは病院を飛び出した。
森の向こうにその施設はあった。
体はうまく動かないが毎日を一生懸命生きる人たちの施設。
こんなところになぜ効率が必要なのかわからないが…。
その時。わたしの目に蒼い髪が飛び込んできた。
あの人!
わたしは、ちょっと迷った後で、綾波さんの手に手紙を落とした。
「あなたは…、シンジさんの所に良く来ていた…。」
綾波さんは手紙を開くと、中を読んだ。
この宝石が出所の正しいものであること。
施設の為に使って欲しい事。
そんな事が書かれていた。
綾波さんの目からぽろぽろぽろぽろ涙が続けておちてきた。
「あの人…あの人が…
そんな事を考えていたなんて…。
理解していなかったなんて、わたしは馬鹿だったわ…。」
「そうよ、おばかさん。すぐにシンジの所へ行ってあげて!」
わたしは施設を離れるとまっすぐに森の上を抜け、病院へ向かった。
途中から雪混じりのみぞれになった。身体が凍り付くようだ。
風に吹き飛ばされて、何回か地面に叩き落とされた。
寒さで体に力が入らない。でも、わたしは、シンジの所へ帰らなくちゃ。
それでも何とか、真っ暗になってからシンジの部屋の窓にたどり着いた。
部屋の中にはお医者さんたちと綾波さんがいた。
シンジの様態が急変したようだった。
わたしは必死で窓を叩いた。
「シンジ!シンジィ!!」
昏睡状態だった碇シンジはふと目を覚ました。
目の前に蒼い髪の赤い瞳の少女が立っていた。
「…綾波さん。」
「シンジさんごめんなさい。わたし、あなたの事ちっともわかってなかった。」
脈拍が次第に下がっていく。
「PaO30を切りました。心機能低下中。脈圧低下、血圧測定値切りました。」
「寂しい思いさせて、ごめんなさい、シンジさん。」
「いや、大丈夫、綾波さん。アスカが、いてくれたから。ずっと。」
「アスカ?」
「いまも…、ここに来てくれてる。アスカ…。」
「夢を見ているのでしょう。」
「痛みも無いようだ。幸せな亡くなられ方です。」
夢じゃない。
アスカ。きみが本当のアスカだね。
ぼくにはわかる。
わたし、わたしアスカよ!あなたと同じ。
あなたに抱きしめてもらえる。
あなたとひとつになれる…!
二人は輝きながらひとつにとけあい、
どこまでも高く、高く、のぼっていった。
次の日、シンジの遺体が運び出されすぐに火葬にふされることになった。
家からは誰も来ないし、友人もいなかったからだ。
焼き場にやってきたのは綾波レイただ一人だった。
「最後の、お別れをどうぞ。」
綾波は進み出ると、バッグの中からハンカチを取り出して開いた。
今朝はやく、シンジの部屋の窓を開けた時に見つけたのだった。
固く、凍り付いた、一羽のツバメの死骸。
「さようなら、アスカさん。 ありがとう。」
それを、シンジの顔の横に置く。
怪訝な顔をしながら係官は棺を閉じ、封をして焼却炉に棺を押しいれた。
冬の青い空が、どこまでも続く日だった。
おわり
1999-5/27公開
Feb.1.2000再録