その時の私の気持ち

こめどころ




「アスカ!もう委員会終わった?じゃ、帰ろうか。」


シンジが息せききって走ってきた。


「うん。シンジも終わったの?先生に頼まれてたプリント刷り。」

「ちょっと誤字が多かったから、手直ししてたから遅くなっちゃった。アスカが待ってるかと思って慌てちゃった。」

「良かったわね。遅れてたら一発ぼかーん!よ。まーったくお人好しなんだから。」

「ごめんごめん。」


シンジの苦笑いをみて私もつい微笑む。ほんとはもう40分も前に教室に戻ってきてた。

前の私じゃ考えられない事よね。

高校生活も2年目に入りすっかりなじんでいる。一番忙しい学年。

その上シンジも私も色々な委員会やクラブに首を突っ込んでいる。今日は一緒に帰れる大事な水曜日。

この気持ちに気づいてからどのくらいになるだろう。

でも、この水曜日をどのくらい私が楽しみにしてるかシンジは知らない。

まぁ、わたしがわからないようにしてるんだけどね。



一緒に買い物をして帰る。近所の奥さん達は私たちをみてこそこそささやいている時もあるけれど、

シンジもこのごろでは全然平気だ。中学校の頃は顔を赤くしたりしてたけれどね。

水曜日は私の炊事当番。高校になってからは週に3回は私が夕食を作っている。

私は今のところもう一度大学に行こうとは思わないし、シンジは進学希望だから勉強の時間を作るためっ

ていうのが表向きの理由。

本当は私の料理もシンジに食べて欲しいから。

ケンカをして機嫌が悪い時も、夕食を食べている間にだんだん話が弾み始める。そんな事がうれしい。

ミサトはまた昇進してますます忙しくなったから、めったにうちで夕食は取らない。

私が寝てから帰ってきて、起きる前に出かけて行く。シンジは朝食を作るし朝早いから毎朝あってるみたいだけれど、

私が会うのは日曜日の午後くらい。でもその時は大抵酔っ払ってるな。あはは。



でも、私は大抵いつもシンジを大事にしていない。ごろごろしてるし、家事はしないし、お風呂の温度で文句を言うし。

いやなやつ。

私はいやなやつだなって、自分でも思う。

高飛車だし、偉そうだし、自分が悪くても謝らないし・・・。

これは、一番いけない愛し方だって分かってる。

これじゃ、シンジに私の想いは伝わらない。

でも、でも。他にシンジにどう触れればいいのか分からないんだもの。

もっと素直な普通の女の子に生まれてれば良かったのに。

もう、一人じゃないって、思ってる。そう思わせてくれたのが誰かも分かってる。

でも、このままじゃ、シンジはいつか私のところから去って行ってしまうに違いない。

誰か他の、もっと優しい素敵な女の子が現れたら。

私は笑ってシンジを送り出すしかない。

その事を考えただけで、背筋に冷たい氷のようなものが走って、息が詰まりそうなほど心臓が鼓動を早める。


ひとしきりわがままいって、怒って泣いて騒いでいう事を聞かせて、そのあとに尋ねた事がある。


「シンジ・・・。私の事怒ってない?」


ずるい。なんてずるい言い方だろうって自分でも思った。


「怒ってなんかいないよ。アスカはそれでいいのさ。そうじゃなかったら反って心配しちゃうよ。」


シンジは笑ってそう言ったけど、そう言ってくれるのはわかってたんだよね。

だから、思いきり甘えてわがままを言ってるんだ。

ほんとは、謝らなきゃ行けないって事も。

それでも私はその言葉がうれしかった。涙が出るほどうれしかったんだ。

そんな言葉をシンジから受け取るたびに、私の心がシンジに向かって溶けて流れて行く。

元の私の形が無くなって、シンジ身体にまとわりついていく。

だから私はその度に思う。



ずるいよシンジ。

私の形が無くなってしまうほど、私を自分のものにしちゃうなんて。

私はシンジが好き。

どうしようもないこの想い。

ああ、どうしよう。私はシンジが好き。

こんなにもこんなにも。

他の事なんかどうでも良くなってしまうくらいにシンジが好き。

シンジが遅い日はじっと何もしないで待っている。

足音が聞こえたとたん、小犬みたいに玄関に飛び出して行く私。

シンジ。シンジ。シンジ。

シンジが大好きな私。





夜。目が覚めた。かさこそと風と木の葉のこすれる音がする。

眠気の中で私は夜空に光る細い弓月を見つけた。その弓月が放った矢が私の胸に当たったのかもしれない。

突然、時計の秒針の音が意味を持ったもののように私に語り掛けてきた。


「このままでいいのか!このままでいいのか!」


身体中の神経の末端に、一度に火が点いたように私の細胞がざわめき出した。


「このままでいいのか!」


捨てられていた子猫。かわいそうだなと同情した事。帰りによってみたらもう死んでた。

クモの巣にかかったチョウチョ。迷っている内に食べられてしまった。

泣いている子供。声を掛ける事ができないうちにお母さんに怒られながら引っ張られていった。

私が実現させてきた事。今でも悔やんでいる事。全ての結果は今現在に帰結している。

時間の言葉は聞こえない。

未来の悔やみの声は届かない。

過去の失敗はやり直せない。

ただ、いまがあるだけ。今だけが延々と続いて行く。

お母さん。もっと声を掛けあげたかった。

昔のあたし。もっと心を開けば違ったかもしれない。

シンジが誰かと腕を組んで歩いている。私は何も言えずにそれを微笑んで見送っている。

滝のように涙が流れても。叫んでも怒鳴ってももう取り戻せない。時間はとりもどせない。

苦しい、苦しい、苦しい!いっちゃやだよう!

そこにいるのに!シンジは隣りにいるのに!あの時の私は何故躊躇ったの?何を怖れたの?

呪いの言葉と、青ざめた顔の私が、固まりになって汚れた川を流れ落ちて行く幻想。



明日こそ私は。



眠気はとっくに消え失せて私はベッドで自分の身体を抱きしめていた。身体が震えていた。

シンジを私のものにしたい。でもどうすればいいのか分からない。

愛してるのに。

こんなに愛しているのに。

たった一つの言葉が何故見つからないの。



私といつも一緒にいてくれるシンジの腕は、毎日逞しくなって行く。

リボンを結んでくれるシンジの指を、いつも鏡の中でみている私。

鉛筆を削ってくれるシンジ。髪を梳いてくれるシンジ。軽く私の肩に触れるシンジ。

ノートを手渡すシンジ。ほんの少し触れる指先が、あんなにも何故いとおしいのだろう。


私の心と身体はいつのまにかすっかりもうシンジのものになっているに違いない。

だからこんなにもシンジと一緒にいたい。

シンジを見ていたい。

シンジの声を聞いていたい。


シンジ。



シンジの部屋から目覚ましの音が聞こえた。ごそごそと、あいつが起き出した気配がする。

襖を開けて、洗面所に向かって行ったみたいだ。

私は、上気した顔のまま、まるで操られたみたいに立ち上がった。

いいの?本当にいいの?

私は、くやまない。

たとえ。



ざぶざぶと顔を洗う音がする。私が後ろに立っているのにシンジは気づいていない。

心臓の鼓動が、きこえる。

私は、シンジに向かって手を伸ばした。震えていた。声は全然出なかった。

シンジの背中の私はそっと頬を付けた。回した腕に力を込め、頬を摺り寄せた。

こいつ、いつのまにこんなに。手が向こう側に届かなくて背中にしがみついた。


「・・・シンジ・・・。」


かろうじて出た、かすれ声のような小さな声。シンジの身体が緊張して硬くなる。

何か言っているようだったけど私にはもう何も聞こえなかった。

シンジの身体は恐ろしいほど心地よかった。私はシンジの匂いを思いきりすいこんで顔を埋める。


「シンジ。・・・シンジが好きなの。もうどうしようもないの。」


熱にうなされたように私は言った。


「もうずっとなの。ずっとずっとシンジしか見えなかった。だから、しばらくこうさせていて。」


シンジは、硬くなったままじっと立っていてくれた。







私は幸せだった。

生まれてから一番幸せだった。








一番幸せな朝だった。















「そのときの私の気持ち」終


昨日公開しました、「朝 まだきに」のSSバージョンという、少し新しい試みをこめどころからお送りします。

思いが募り、自分の感情を抑えられないまでに高ぶったこと、そんな記憶は誰に出もあるんじゃないかと

思うんですが、そんな思いをアスカに仮託して表現された作品、というところでしょうか。

ぜひ、この作品に、そしてその試みに、皆様の感想や御意見を頂きたく思います。


Feb/27/2000

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