BAR

こめどころ



いつもの店にやってきた。
いつものカウンターに座り、いつものようにブランデーをロックで。
この席に座るようになってから何箇月かたった。
私に横の席には何人もの男が腰を掛けて、色々な誘い方をしてくれた。
ここはシングルバー。男と女の出会いを求める人たちがやってくる。
でも最後に私が言う台詞は決まっている。


「ごめんね。私は人を待っているの。」


アルコールが身体に染み込んでいくような感覚が好き。
煙が漂っているのを見ているのが好き。
大人になり掛けの頃、こんなことにいちいち感動していた。
その感覚が今また甦っている。
ただちょっと楽しみたいだけ。私だけがそうなのではないでしょう。
気の利いた掛け合いと言葉のやり取り。
あくびの出る暇のない大人のやり取り。
みんなが憧れている素敵な出会いに。
その夜限りの待ち合わせをしている。

あそこにいる。どこにいても私には分かる。
いじけた目で私を見ているんでしょう。
それとも何れは帰ってくると思っているの。
自分の下でしか私が安らげないと思っているの。
分かってるわ。あんたは意気地なし。
待っているのよいつでも。転がり込んでくる幸せを。


お願い。ここに来て。
この隣の席に座って私の手にあなたの手を重ねて。
妄想の中だけじゃなく自分の足でここまで歩いて来て。
こんな僅かな距離をあなたは歩いてこない。
私はそんな僅かな勇気にも値しない女なの?
それともあなたは、夢の世界で私を手に入れるだけで満足してしまったの。
私をあきらめてしまったの。


ほらまた一人、隣の席に男が座ったわ。
微かな笑みに少しづつ引かれて近寄ってくる。
あなたはどうするの?
またそうやって、視線を落として足元を見ているだけなの。
お願い、ここに来て私の手を握って頂戴。
私はこんなにあなたを待っているのに。

ドアを叩いて。私の部屋のドアを。

爪が焦げそうなほど、マッチを長く燃やしつづけるくせ。
そんなくせはあなたのまね。
いつまでも煙草に火をつけずに。
何本もマッチを擦る。ライターは嫌い。
火打ち石の火花は刹那に消えて、火が点かないことがあるから嫌い。
そうやって、いつまで煙草を吸うかどうか考えているの。

あなたが来てくれないなら、ここからもう飛び立ってい行きたい。
人々が止めど無く入れ替わっていくこの店には人生が溢れているから。
痛んだ心なんか珍しくないから。
そんな物を蹴飛ばして新しい世界に出ていくならドアを押すだけでいい。
隣の男の腕をとってドアを出ていくだけで新しい世界が開けて新しい人生が始る。

ここはシングルバーだから。みんなが出会う相手を求めてる。
華やかなネオンの街。
隣の男が私の手に自分の手を重ねている。
でもあなたは私の恋人になれるほど強い男なの?
私がもうどうでもよくなってしまった時、隣にいた男が私のMr.GoodBar。


こっちに来て。私のことをあきらめないと言って。
うそでもいいから。その時だけでもいいから。

あなたと一緒にいたい。
私の心が重いのはあなたがここにいないから。隣にいないから。
冷たい氷の音が私の心の音。漂う私の心は煙草の煙のよう。


あなたと目が合った。
俯いて暗い目をしていただけのあなたの瞳に激しい赤い色が上ぼる。
あんたは右手をポケットに手を入れて私に近づいてくる。

何を握り締めているのそこに。
何を握り締めているのそこに。



「アスカ。」

「なによ。」



ここは、Single Bar 。雑踏と喧騒、パトカーと緊急車両の音。
女達のけたたましい笑い声。
寿司とラーメンと、焼き肉とにんにくと、脂粉と安いアルコールの匂い。
急ブレーキの音。
酔っ払いの歌と、人を殴る音と、ガードに響く電車の音。
そんなものがぐるぐると回る街。


私はそんな街であなたを待っていた。
手を重ねてくれるあなたを。
私を決してあきらめないという言葉を。




Bar/END23-8-00



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